とあるSEの新人時代

入社して半年以上が経っていた。

面接を終え、客先にアサインされたのが12月。

冬の時代だった。

一緒に入ったメンバーは6~7人ほどで、新人はぼくを含めて4人だった。

何も出来ない新人をよく4人も入れてくれたものだと思ったが、当時その理由は知らされていなかった。

ぼくは自社の3つほど上の女性先輩と、客先のベテラン男性社員とコミュニケーションを取りながら仕事をしていた。

人と話すのが苦手だったので、プログラムをガリガリ書いてPCと話していればいい仕事だと思っていたが、そんなことは無かった。

むしろ要望を聞いたり、仕様を確認したり、コミュニケーションを取るのが仕事のようなものだった。

常駐してから学生時代には知らなかったデータベースも触り始め、新しい技術に触れる楽しさを感じていた。

なにより先輩や周りの人達の性格に恵まれ、穏やかな日々を過ごしていた。

今思えば仕事は半分が人間関係だろう。良き同僚や良き先輩と働くのが一番である。

そしてもう半分は仕事内容や待遇である。

エンジニアを雇う場合、単価というものがある。

「この人はスキルがこれぐらいだから、1ヶ月これぐらいの単価でどうか。」という具合に1人1人の単価を自社の営業と客先の担当者が決めていた。

客先によって全員同じ単価で入れて、ベテランと新人でバランスを取る場合もあるし、残業代のありなしなどいくつかのパターンがある。

そしてある時、ぼくは自分の単価を知り仰天することになる。

無能力者(単価0)

それがぼくの価値だった。

新人は全員タダ働きだったのだ。

もちろん自社からは給料が出るが、客先から自社に支払われるお金は無かった。

実務経験をさせ教育する代わりに単価はタダ。そういうことなのだろう。

自社にとっては教育にかけるコストが浮くし、客先にとってはタダで労働力が手に入る。

実に合理的な考え方だった。

労働の対価としてお金を貰うと思っていたが、その幻想は壊された。

こうしてぼくの新人時代は会社に何も貢献せぬまま終わりを告げる事になった。

2年目になると単価は上がったが、自社の給料は全社一律6%ダウン。

かろうじて残業代は出ていたが、この年が終わる頃、同期の数は半分になっていた。

エンジニアとしてレベルアップしなければ、この業界で先はないと思った。

自分を高めることが客先のためになり、自社のためになり、なにより自分のためになる。

そして数年が経ち、レベルが上がったぼくは、上がらない給料に嫌気がさしていた。

先輩たちも次々と辞めていき、ぼくは新たなステージを探すタイミングに来たのだと悟った。

客先の人にも勧められ、ぼくは自分のために上げたレベルを使い、次の会社にクラスチェンジを果たしたのだった。

~FIN~